2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧
和平東路二段から斜めに走り復興南路二段の大安消防署脇へ出て更に復興南路の一本東を信義路四段手前の捷運大安站南まで続く瑞安街。復興南路を越えてからは住宅ばかりになり商店が立ち並ぶのは和平東路から復興南路までです。戦後この一帯は建國済南にある…
台湾の食品スーパー、福利中心や松青超市(MATSUSEI)・頂好(Wellcome)等は食品以外だと日用雑貨や下着程度しかありません。イオンやヨーカドー・アピタなど日本でいう総合スーパー(GMS)は大潤發やCOSTCOなどがあるものの数は少なく、近所ですべてを一度…
今日は姪1號からの大甲鎮瀾宮現場報告です、別名大甲媽祖宮、大甲媽祖廟ともいわれる鎮瀾宮に鎮座する媽祖は駕籠に乗って毎年西部海岸諸都市の媽祖宮を巡ります。今年は4月17日に大甲を出発し、彰化・西螺・新港・西螺・北斗・彰化・清水と回って今日26日大…
和平東路二段から斜めに復興南路二段へ抜ける瑞安街、附近は住宅と学校が混在する地区で住民も多く小吃店や喫茶店・バー・レストラン・ブティック・金行・コンビニ・薬局(西薬だけでなく中薬もあります)などが軒を連ね、このブログで度々紹介している馬祖…
敦化南路のシャングリラホテルからも近い公有成功市場、我家行きつけの傳統市場です。魚・肉・青果・惣菜・衣料・アクセサリーetcで総店舗数は50強にもなる大型市場です。魚・肉・青果などは各3~4店が営業しており各店舗が競い合っているので鮮度が良く価格…
南廻線の普快車1往復を除き、今ではすっかり電車やディーゼルカーになってしまった臺灣鐡路局の普通列車ですが、つい10数年前までは縦貫線や北廻線にも客車列車が走っていました。普通列車用の客車には日本製とインド製があり、侯孝賢監督の映画「冬冬の夏休…
ヨメは町内会の会議で不在、テレビも何も面白いものが無いのである日夕食後ふらっと台北站まで出かけてみました。発車案内をみると花蓮からの普悠瑪號が到着するので板橋まで乗ってみることにしました。台北で大半の人が降りた普悠瑪號はガラガラで終着樹林…
昨日の新聞によると日本ではチョイ飲みの流行によって牛丼屋やファミレスでのアルコール販売が好調とありましたが、林森北路などの繁華街を除けば飲屋の少ない台北で近所で飲めるのが熱炒店です。読んで字のごとく焼立て・炒めたての料理が供され、ほとんど…
先日姪3號からメールが来ましたが、在錫蘭とあります。どこかなぁと考えてスリランカと思い至りましたが、日本では小説で巴里・倫敦等、新聞で米国・欧州・伊国・加州などは使われますが、一般に外国の国名・地名・舶来物等はカタカナで表記し漢字で表すこと…
台北市内に数ある夜市の中で一番猥雑で怪しいのが華西街観光夜市を中心とする龍山寺一帯でしょう。元々台北でも古くから発展した萬華、商売人が集まるとともに色町としても繁栄しました。寧夏街にも色町はありましたがいわゆる売春禁止法の強化で寧夏街附近…
もう今から20年ほども前でしょうか、日本でジグソーパズルが流行り結構凝って大判のニューヨークの夜景やラッセンの海洋絵画を組み立てたことがありました。このころ台湾でも流行しましたが、当時台湾では種類が少ないというので頼まれて台湾へ行く際にはジ…
3月は異常な暖かさで桜もすっかり散ってしまったというのに今日は八王子で雪が降ったそうで何とも変な天気です。 ラーメンライスは炭水化物をダブルで摂るので体に良くないとは言いますが、ラーメンだけでは中々満腹感が得られずついついライスを頼んでしま…
久し振りのご近所散歩シリーズ、永康街の3回目です。永康街は中山北路を中心とするいわゆる繁華街からは離れていますが師範大學裏と信義路を結ぶ通りで小食堂が昔から密集していました。 またすぐ横の金山南路には今ではなくなってしまいましたが映画館もあ…
2010年の羽田直行便復活以来5年となる台北松山機場、東京からの台北訪問はすっかり松山機場が定番となったようです。1979年までは国際空港でしたが、桃園機場の運用開始によって約30年間国内線専用空港となっていました。台湾新幹線開業以前のピーク時には高…
日本へ帰って一番ほっとするのがあっさりした食事ができることです。もちろん台湾飯は安くて美味しいのですが、住んで毎日となると中々厳しいものがあります。そこで休日には市場やスーパーへ出かけて材料を仕入れ、煮物や焼き物など油を使わない食事を取る…